2004.03.01最近の ジンバブエ事情
南部アフリカに位置するジンバブエ共和国は1980年にイギリスから独立した、いまだ建国途上にある若い国です。日本と同じくらいの国土面積に人口は 1,400万人と少なめで、首都ハラレ(160万人)、ブラワヨ市(40万人)、その他いくつかの地方小都市(5万人以下)のほかは、どこまで行っても潅木と草原が広がるばかり、人影は稀です。

カリガモンベ交差点裏
私が初めてハラレに足を踏み入れたのは約1年半前の2002年9月。いくつか高層ビルがそびえますが、街全体がどことなくさびれています。「かつてこの街は立派だったに違いないのに。」というのが第一印象でした。97年7月のタイ・バーツ下落に端を発したアジア通貨危機は、11月末にジンバブエにも飛び火し、ジンバブエドル(Z$)は半値になりました。おりしもの独立闘争に功績のあった退役軍人に対する巨額の恩給支払いと翌年のコンゴ民主共和国の内戦への応援出兵、これらが財政と外貨繰りを極度に圧迫しました。その後さらに悪いことに、たばこ輸出など外貨の稼ぎ手であった大規模白人農家の農地接収、大統領選挙不正疑惑による援助資金の流入途絶、2年続きの干ばつなどが経済を疲弊させます。この3年間の二桁のGDPマイナス成長、失業率70%に加え、最近はなんと619%にものぼるハイパーインフレに見舞われております。私の着任当初はビール1本が240Z$でしたが、今は2,800Z$と10倍強になりました。為替はヤミ・マーケットが優勢となり、着任当初の650Z$/US$であったのが昨年暮れに6,000Z$とその価値は10分の1弱になりました。
このような状況では、私の業務であるマイクロファイナンスの拡充は遅々として進みません。一般にインフレは借り得ですが月利20%は返済能力を超えてしまい延滞が多発、一方貸し手側はインフレによる資本きそんと、泥試合の様相を呈しています。そんな中で、先週は零細金融機関に呼びかけて、債権管理に関する研修会(ワークショップ)を行ったり、貸付審査に関するマニュアル作りを応援したり、営業推進用のカラー・パンフレットを作成したりなど、なんとか格好を付ける、というとちょっと問題発言になりますので言い換えますと、いささかなりとも本来の貧困緩和と雇用拡大という派遣目的に沿った貢献ができないものかと奮闘努力の毎日です。

郊外
もっと生活が楽しめるといいのですが、政治対立が尖鋭化し治安の悪化が進行しているので夜は外出を控えています。すり、引ったくり、カージャック、窃盗、そして最近は武装強盗も増えました。10日前にはついに邦人宅が襲われ、幸い無抵抗に徹したことからけがはなかったものの相当な金銭被害が発生しました。
在留邦人は約150人、このうち青年協力隊が30人前後と最大勢力です。邦人は1年半前に比べるとずいぶん減りました。近所に立派なゴルフ場がいくつかあって、半年前までは毎週ゴルフをしていたのですが、このところ邦人の減少に伴いゴルフ人口も急減し、今週は土日とも家でゴロゴロ。
こんなジンバブエですが悪い点ばかりではありません。ここにはヴィクトリアの滝という世界三大瀑布の一つであり、かつ滝幅が世界最大という観光名所があります。それに国内あちこちにサファリ・パークがあります。私の家の近所にも歩くサファリがあって、何回か通ううちにキリンの親子と親しくなりました。遊びにいらっしゃいませんか、日本から25時間ほどと近い近い。


