2005.04.01もしも奴隷貿易がなかったら
それにしても、いかに弱き者が力ある者の野望の犠牲になったか、奴隷貿易と植民地主義、その負の遺産が今なおガーナに重くのしかかっている……34年振りにガーナを訪れて改めてそう思った。
昨年(2004年)11月、産業調査のために久し振りにガーナを訪問した。1970年以来のことである。1ヶ月の滞在中に、首都アクラにある国立博物館に行ったところ、そこにアフリカの奴隷貿易の資料が展示されていた。資料によると、アフリカ人は、ヨーロッパ人により、新世界(New World=アメリカやカリブ諸国)へ、金銀の採掘、棉・さとうきび・タバコ・コメのプランテーションの労働力として送られた。数世紀間の奴隷貿易によって西アフリカから連れ出された数は約2000万人に上り、アフリカの人口は、19世紀半ばに約1億人であったが、もし奴隷貿易がなかったらその倍であったと推定されるという。これは私にとって非常なショックであった。もしこの推定が正しければ、単純に考えれば、現在のブラック・アフリカの人口は十数億になっていることになる。
むかし奴隷を積み出したとされる海岸付近
産業発展の視点からは、人口の規模は一応市場規模として見ることが出来る(※1)。現在サハラ以南のアフリカの国数は48カ国、そのうち1億人の人口を持つ国はナイジェリア、5千万人以上はエチオピアと南アフリカ、3千万人以上は、タンザニア、スーダン、ケニアの3ヶ国、2千万以上はウガンダとガーナであり、残りの40ヶ国は1千万人以下である。産業(特に製造業やサービス業)を考えると、人口が多い国ほど産業発展のポテンシャルが大きくなる。ところがアフリカのほとんどの国は、人口が少なく(市場規模が小さく)産業振興上かなりの制約がある。1国である程度の産業を興すには、人口規模が最低3〜5千万人は必要と言うエコノミストもいる。
もしガーナの過去に奴隷貿易がなかったら、そして人口が現在の倍の4千万になっていたら、産業を興すポテンシャルが大きくなり、現在もっと多くの製造業が発達していたかもしれない。またもっと広く経済や社会の発展状況も変わってきていたかもしれない。というのは、奴隷として連れ出された人は健康な若者(10〜35才)が多かった。勤勉で性格もよくまた忠誠心の強い部族の若い男女であったという。そのような若者は国の将来を担うはずの人たちであった。奴隷貿易により、それまで平和を保っていた部族同士が奴隷狩りの渦中に巻き込まれ、一方が奴隷商人に雇われ、他方が奴隷狩りの対象になり、両者の間に争いが起こる。このために両部族とも非生産的なことに金、時間、労力を費やすことになり、平和的な産業や製造業の発展にブレーキがかかる結果となった(※2)。
19世紀始めに奴隷貿易は廃止され、ガーナも奴隷貿易から開放されることになるが、植民地として国家独立(1957年)まで存続することになる。宗主国である英国の植民地政策が、植民地から独立してほぼ50年経った今日においてもガーナの経済と産業の発展に大きな負の遺産となっている。
ろうを沸かして準備
ガーナの産業、特に製造業の発展は、同セクターのGDPへの貢献度からみると東アジアや東南アジア諸国に比較して極めて低い。それでは植民地支配を受ける前のガーナの製造業はどうであったか。当時の国家経済への貢献度を確認できるデータは手元にないが、少なくとも各種の製造業が存在しそれなりに発展していたことは、F.K.BuahのA History of Ghanaから想像することができる。F.K.Buahによると、植民地となる以前のガーナは、各種の製造業が盛んであった。手工芸品はバラエティに富んでおり、金属、木製、粘土、皮および象牙を材料とした製品を作り、また織物(紡ぎ、織り、染め)、製塩、石鹸なども生産していた。更に鉄鉱石から鉄を採り出すことを古くから知っていた。
スポンジで作った押し型
斧、鍬、刃物、矢、釣り針、鎌などの鉄製品については、キリストが誕生する数世紀前から生産していたとも言われている。アクラにある国立博物館を訪れると、極めて原始的な方法ではあるが鉄を溶かす炉が展示されている。その他、ガーナでは、金細工、ビーズ、陶器(壷、皿、クーラーなど)、台所用品(ポット、カップ、皿、ひしゃく、スプーン)、人形(遊び用、宗教用)なども製造していた。
ところが、植民地政策によってガーナの経済は一変し、製造業の発展にブレーキがかかってしまった。ガーナは他の植民地と同様、ヨーロッパへの原料供給地として、またヨーロッパの製品の市場として位置付けられていく。
ろうをつけて押していく
1751年、英国の貿易局(the British Board of Trade)が当時のガーナの英国代表(the English Resident of Cape Coast Castle)に、ガーナでの棉・タバコ・砂糖・その他の新世界(アメリカやカリブ諸国)から輸入できる産物・製品の生産を止めるよう指令を出している。
指令の中に、このような“農産物の栽培や工業の振興は、英国の政策に反するものである(The cultivation of agriculture and the promotion of industry among the Negroes is contrary to the established policy of this country, England)”と述べられている。これにより、それまでガーナで生産していた産物や製品に替わりヨーロッパの輸入品がガーナ国内に出回るようになる。白人により劣等意識を持たせられたガーナ人は国産品より輸入品を好むようになる。今回の産業調査で一緒に仕事をしたローカルコンサルタントによると、現在もその傾向はあるという。とにかく、植民地政策によりガーナ国内の手工芸品やその他の製造・販売が不振となり、熟練の手工芸品職人などは職を捨てざるを得なくなってしまった。
水洗いし乾燥させてでき上がり
植民地政策により、ガーナは製造業のみならず従来の農業もコントロールされてしまう。植民地当初、洗剤や料理用の原料としてオイル・パームの栽培が始められ、ヨーロッパへ輸出していたが、20世紀の始めになると、オイル・パームに代わってカカオが始まった。しかし農民は、自分たちの生産したカカオの価格に何ら影響を与えることが出来ず、価格はヨーロッパのバイヤーに一方的に決められるのであった。
ガーナ中央銀行(Bank of Ghana)の統計により2003年のガーナの輸出構成をみると、カカオ34.9%、金やボーキサイトなど鉱物資源38.9%、木材7.6%でこれら一次産品だけで81.4%を占めている。輸出に占める製造品は2割に満たない。カカオは外貨の稼ぎ手でもあるが、国際価格や天候に影響され易く貿易上不安定な商品である。
ろうが乾いたら染色する
ガーナにとって輸出内容の高度化(高付加価値化)多様化を図るには新たなる投資が不可欠である。しかし同国には、そのための資金や技術が不足しており、おのずと外国に求めざるをえない。そう簡単に実現できることではない。
現在のガーナの輸出構造にもまた奴隷貿易と植民地政策の後遺症が残されている。
ガーナ独立前の1951年、英国の開発経済学者であるDuddley Seers(1920〜1983年)がガーナ政府の経済アドバイザーとして派遣された。Seersが描いた当時の経済状況の一部を紹介すると以下の通りである(※3)。
・ガーナ経済はココアという一次産品に依存している脆弱な経済である。
・ガーナは、基本的に小農経済(a country of peasant economy)の国である。経済発展のスピードは長期的に見て食糧生産の成長率で決定される。しかし、農業の生産性向上のスピードは極めて遅いであろう。
・ 工業化するには、労働集約的軽工業を興すべきである。工業化の程度は農業の成長の度合いによって決まる。工業化のスピードは緩慢であろう。
染色後、充分染み込ませてから煮出して ろうを溶かし、すくい取る
・ココアの長期展望は疑問である。輸出量を戦前のレベルに維持することは難しいし、価格も不安定である。ガーナ経済を国際貿易や世界政治の影響の外に置くことは不可能である。
Duddley Seersの述べたことは、ほぼ半世紀経った今でも、ほぼそのまま当てはまる。もちろんこの間にガーナの経済が発展していないわけではない。ただその発展の度合いが極めて緩慢であること、また経済や農業が構造的な問題を抱えていることなどから、特に自由化やグロバリゼーションが進展する中で、産業(製造業やサービス業など)の振興は容易ではない。
このようにみてくると、ヨーロッパによる奴隷貿易や植民地政策がいかにガーナ(その他多くのアフリカの国々)の今日の経済や産業の発展に陰を落としているか。いかに弱き国が力ある国の野望の犠牲になったか。川田順造もその著『アフリカ』(朝日新聞社1993出版)の中で、「胡椒海岸(現リベリア)、象牙海岸(現コートジヴォワール)、黄金海岸(現ガーナ)、奴隷海岸(現ベニン、ガーナ、ナイジェリア)など、ヨーロッパ人がつけた地名は、彼らの欲望のあとを生々しく示している」と述べている。
ガーナの国立博物館でショックを受けてから、負の遺産を引きずっているガーナの人々に会うことがつらくまた哀しい。同時に、彼らのために何とかしてあげたいという強い衝動に駆られてくるのも確かである。それではガーナ(そしてアフリカ)の産業振興をどう考えるか、日本としてそのための何ができるか。今後じっくり考えていきたい。関心ある方がおられたら是非考えやアイディアを交換したい。いつでも歓迎である。
※1 厳密には、市場規模は人口一人当たりの所得や購買力を考慮しなければならず、また人口の分布や集中の状況、あるいは周辺諸国との経済関係状況も重要な考慮事項である。生産の面から考えると、人口規模が小さくとも国際的に市場性のある資源や産物があれば特定産業の発展の可能性はある。
※2 「アフリカが奴隷貿易によって大量の若い労働力(三分の二は男子)を喪失し、平和と安全が損なわれたことはいうまでもない」(宮本正興・松田基二編『新書アフリカ史』講談社現代新書2000年)
※3 橋本日出男『途上国に対する経済政策アドバイザーについて〜Duddley Seers を中心として〜』財団法人国際高等研究所 2004 参照


