現地リポート

2005.10.01たわいないことで感激と驚きの連続

国名 : インドネシア 平成16年度後期シニア海外ボランティア大気汚染管理(パルプ・製紙関連)
工業省パルプ・製紙センター(CPP)井野光秋

2005年4月から2006年4月までの1年間、製紙工場の大気汚染管理の専門家として、インドネシアのバンドンに派遣されることになりました。現在6ヶ月目を迎え、こちらの生活文化にも慣れてきましたが、派遣当初は驚きと感激の連続でした。いま当初を振り返り、それらをここに記してみたいと思います。

プラザ・スナヤンでのダンス大会

プラザ・スナヤンでのダンス大会

まず、インドネシアに到着後、ホテルの冷房によりひどい風邪をひき、さらにジャカルタの深刻な大気汚染に追い討ちをかけられ、熱と強い咳に苦しみました。おりしもジャカルタJICA事務所での数日の現地研修とインドネシア語研修をこなさねばならず、とくに語学研修は期間が3週間でほとんど毎日小テストがあるというハードスケジュールで、赴任早々『試練』のスタートとなりました。

なんとか元気になった、とある休日。同僚のシニアボランティアと行ったジャカルタのブロックMの近くのショッピングモールのプラザ・スナヤンで、インドネシア各地の民族ダンス・コンペテションが3日間 (4/22〜4/24) 開催されました。
観賞できたのは3グループだけでしたが、その中でもっとも印象に残ったのが、パプア・ニューギニア代表のハイスクールの生徒の歌とダンスでした。これは Yosim Pancan/Yospan(Yosim Pancarの踊り)と呼ばれ、パプアニューギニアの北部海岸地域の伝統的な踊りです。YosimとPancarという2つの踊りからなっており、前者は比較的ゆっくりとした動き、後者はよりダイナミックな動きとなっています。このときのパフォーマンスは約20分間の物語風に進行する超弩級の迫力の歌と楽器と初々しいダンスで、その動きは日本の盆踊りに似ていますが、何十倍も複雑な手足の動きで男女の感情の変化を表現しており、不思議な雰囲気で観衆を引き込み、最後には審査員からも大喝采の拍手があり、非常に興味深く鑑賞しました。

宿泊ホテル前の夕刻時の道路状況

宿泊ホテル前の夕刻時の道路状況

『試練』のスタートから6ヵ月。現在はバンドン市のCPPに赴任し、市内で生活しています。バンドンは市の中央を横断する鉄道を境界線とし、北部は文化圏でバンドン工科大、動物園、歴史的建造物等があり日本の軽井沢という雰囲気です。しかし私の宿泊地である南部はゴミの散乱した道路、人、車、バイク、べチャ(人力タクシー)、野菜の他なんでもある市場、テント張りや木製箱型の露天商、屋台、豪邸とあばら家等がひしめき、それらが渾然一体となった生活圏です。もっとも、4月にアジア・アフリカ会議が開催されたムルデカ・ビル(独立記念ビル)はアジア・アフリカ通り(JL. ASIA AFRIKA)にあり、南部に位置していますが。

6月のある日曜日に徒歩と超小型乗合バス(アンクタ:ANGKUTANG)で南部一帯を8時間ほど徘徊した時、いくつかのカルチャーショックを体験しました。
一つ目はホテルの近くの交差点でいつも新聞を売っている10才前後の男の子には、会うたびに新聞を2〜3倍の値段で買わされていました(インドネシア語の新聞で、もちろん読めません)。その日はその交差点から3〜4キロ離れたところに私はいたのですが、私の方に向かって歩いてくる男の子がいたので、よく見ると例の新聞少年で、結局新聞を買わされるはめに。彼の行動範囲が広いことと、また、よく覚えていて人を見つけることにびっくりしました。

二つ目は、途中猛烈なスコールに会い雨宿りしていた時のこと。7才と10才位の女の子が2人全身雨に打たれながら、信号で止まったバイクに駆寄り手を出してお金を要求し、かなりの確率で成功していました。この子達に全く悲壮感はなく、川のようになった道路をバシャバシャ裸足で走り回っていましたが、日本のテレビドラマで「同情するなら金をくれ」というのがあったのを思い出し、雨宿り賃として8,000ルピア、思わず奮発してしまいました。

三つ目は、雨上がり後、民家の密集した地域を流れる川( 東京の神田川のイメージ)に沿って歩いていると、一軒の民家から釣竿らしきものがでていました。最初は魚釣りでもしているのかと思いましたが、スコールの後で川は濁り、相当な水嵩で勢いよく流れており、とても魚釣りのできる状態ではありません。では何をしていたのかというと、実はこの家の主が竿の先に紐をくくり先端にカゴを付けて家族の見つめる中、川の上流から流れてくる獲物(金目のもの)を拾い揚げていたのでした。まさにスローライフ!収穫はどうだったのでしょうか?

Mylda(ミルダ)3才、売店の看板娘
最後に最もエキサイティングなレポートを記しておきます。現地女性と親密な関係に…。といっても3歳の女の子ですが。
彼女は私の宿泊ホテルから100メートル足らずのところで、歩道の一部を間借りした箱型の小さな売店で、母親と一緒に店番をしています。名前は Mylda(ミルダ)ちゃん。幼児特有の賢さとわがままさが同居しているカワイイ女の子です。知合ったきっかけは私がこの売店の前を通りかかると私に話しかけるように「独り言」を言ったのを目撃したことです。毎日通りかかっているうちに顔見知りになり、アイスクリームなどをプレゼントしたりして親しくなりました。今は彼女の指示で彼女の自転車の後を私も自転車で走り回っています。彼女は植物に興味があり、花や木の実をとって押し花を作ったりして遊んでいます。興味深いことに、日本語の「ダメ」は非常に分かり易い言葉のようで、ネコに石をぶつけることや、ヤモリをスリッパで叩こうとした時などにダメと叫ぶと「ダメ〜」といぶかしげな表情でやめます。

彼女の遊び場所は交通量の激しい道路に面しており、地域一体は子供の遊び場所などはほとんどなく、子供と親にとっては厳しい生活環境ですが、この考えも恵まれた日本と比較してのものです。またこの国の物価は外国人にとってはあってなきがごとしで、時々3〜4倍の値段をふっかけることがありますが、私は決して引下らずに値段交渉をして、納得がいかなければ交渉不成立で品物を返し、お金を取り戻します。現地リポートとしては散漫なものになりましたが、このようにインドネシアの底辺で生活する人と接することは、充分用心が肝心ではありますが、大変面白い経験です。