現地リポート

2006.10.01シエラレオネのこと

国名 : シエラレオネ シエラレオネ国援助調整長期派遣専門家 小竹(おだけ)明夫

シエラレオネはアフリカ大陸の西の端の方に位置しており、面積は約7万平方キロメートル強( 北海道より一回り小さい(約86%)広さ)で、人口は2004年のセンサスの結果では500万人を僅かに割り込んでいました。これも 北海道より少し少ないくらいです。ダイヤモンドを初め、ボーキサイト、ルータイル(チタン鉱石)、金など地下資源は比較的豊かにあります。農業も盛んな国でしたが、内戦によって土地も人も疲弊してしまい、未だに以前の状態には戻っていません。UNDPの人間開発指数ではこれまで最下位でしたが、前回調査で1ランク上がりました。

シエラの首都フリータウン町の様子。山が迫っていて、神戸や熱海にも似ている

シエラの首都フリータウン町の様子。山が迫っていて、神戸や熱海にも似ている

1991年からシエラレオネは11年に及ぶ内戦に入りますが、それ以前にも何度かクーデターが繰り返されていました。シエラレオネの内戦はダイヤモンドの利権を巡って勃発したと理解されていますが、発端は政府の腐敗体質・給与の遅配に対する軍人の反乱という説もあり、それにダイヤモンドの密輸に目を付けた隣国リベリアのチャールズテイラーによる反乱軍支援が火に油を注いだ形になり、内戦が長期化したと言われています。また四肢を切断したり、子供兵士を多用したという点でも、特徴的な内戦でした。
1999年に国連軍が派遣され、DDR(Disarmament, Demobilization & Reintegration:武装解除、動員解除、社会再統合)が開始。2000年に停戦合意、2002年には武装解除が完了し、大統領選挙が実施され、カバー大統領が再選されました。
11年の内戦を経て、国内のあらゆるインフラが機能しなくなっているという事実が、シエラレオネの発展の大きな障害となっています。内戦直後からUN機関を初め、英国、EUが中心となって支援を行っており、2005年にはPRSPに沿って援助計画が策定されています。また、UNや英国・EUを中心にドナー協調も進み、各分野ごとに関係者会合が持たれています。
JICAは人道・緊急支援から復興・開発支援への切れ目ない支援の重要性にかんがみ、2004年9月にプロジェクト形成調査を実施し、2005年1月に現地フィールドオフィスを開設し、シエラレオネへの協力を開始しました。

雨期のフリータウン。坂の多い町なので、あちこちの道路は川のように水が溢れる

雨期のフリータウン。坂の多い町なので、あちこちの道路は川のように水が溢れる

首都フリータウンの電力を賄う発電所のディーゼル発電機の殆どが運転もままならず、多くの商店やホテルなどの商業施設は自前の発電機を動かしています。職場の役所ビルも以前は週の半分は電気が来ていたのですが、ここしばらくは、週に数時間来ればよい方で、配属先の職員達も、電気がないと必要な書類さえ作れないので、手持ちぶさたにしています。どうしても急ぎの書類作成が必要な場合には、発電機を持っている部署に行ってPCを借りたり、書類のコピーをしたりしています。職員のキャパシティービルディング以前に、事務処理を行うための電気がないために、仕事が進まないのです。私も仕事にならないので、職場に小型の発電機を導入しました。

シエラレオネ着任前は、悲惨な内戦のイメージしかなかったのですが、シエラレオネの資源の豊富さ、こちらで現地の人々と接していて感じる頭の良さを知るにつけ、この国のポテンシャルの高さを感じます。しかし、それを活性化するためのインフラが決定的に欠けています。
課題山積ですが、ほかの内戦を経験した国の多くが再び内戦に戻っている中で、シエラレオネは治安も安定しており、他ドナーもこの国の復興は失敗させたくないという強い意志が感じられます。JICAの協力も少しずつですが、規模を大きくしているところです。シエラレオネの開発をこれからどのようにしていくのか、という部分に関われる仕事ですので、色々と苦労はありますが非常にやり甲斐があります。