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ラキアで乾杯!
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−ボスニアヘルツェゴビナ国(スルプスカ共和国)近況報告− |
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JICA 地雷被災者に対するリハビリテーション技術の向上プロジェクト
データベース構築短期専門家:藤山 弘幸 |
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| 公園のチェス広場 |
ボスニアヘルツェゴビナ国のスルプスカ共和国に通算して3ヶ月半滞在し、地域密着型リハビリテーションセンター(CBRセンター)向けデータベースの検討・設計・開発・導入支援を実施した。
「ボスニアヘルツェゴビナ国のスルプスカ共和国」というと、国名が二つ並んでいて奇異な感じに聞こえるかもしれない。ご存じのようにボスニアヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビア連邦の一共和国であったが、約10年前のユーゴスラビアからの独立時にモスレム人・クロアチア人・セルビア人間での民族紛争が大きな内戦となり、甚大な被害が生じた国である。現在では放置された埋設地雷の危険はあるものの治安はかなり安定してきており、経済的にも復興しつつある。しかしながらもっとも強く対立したセルビア人とモスレム人・クロアチア人は、一国の中にそれぞれスルプスカ共和国とボスニアヘルツェゴビナ連邦という、国家に類する行政体(エンティティー)を組織し、今ではかなり自由に行き来されるようになってきてはいるものの、独立性の高い運営がなされているのが現状である。
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| ワイン漬けの麦をいただく |
スルプスカ共和国内で私は主にバニャルカという都市に滞在していた。バニャルカはスルプスカ共和国内で最大の都市であり、今回の案件での相手機関である「スルプスカ共和国健康社会福祉省」を含む行政機関が存在している。難民として国外に出ていた若い人たちもかなり戻ってきており、都市としての活気も回復してきたようだが、失業率も依然として高く賃金もまだまだ低い状況である。中心部では若者たちが闊歩している傍らで、職のない中高年やリタイアした人々が、公園の片隅にある広場でチェスに興じている状況をよく目にした。
現地の人々と接していてもっとも我々との違いを感じるのは、宗教に依拠したアイデンティティーに関する主張の強さであろう。モスレム人・クロアチア人・セルビア人の民族としての差異は信仰する宗教によるもののみと言っても過言ではなく、それぞれイスラム教・カソリック・セルビア正教(東方正教系)が信仰されている。スルプスカ共和国の主たる宗教はセルビア正教であり、私自身東方正教系の文化に触れるのが初めてということもあり、なかなか興味深いものであった。
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| ホテルボスナのイースターエッグ |
以下、セルビア正教文化の特徴的なポイントをいくつかご紹介しよう。まずもっとも目立つのは、キリル文字である。ロシア正教のロシアでも使われているのでご存じの方も多いと思うが、このキリル文字は東方正教のキリルという聖人が普及させたということでこの名前が付いているそうである。スルプスカ共和国では、このキリル文字とアルファベットに近いラテン文字の両方が使われているが、公用文字はキリル文字であり、道路の標識等は全てキリル文字で記されている。当地を訪ねる際にはキリル文字を覚えてから行かれることをお奨めする。
通常の生活では彼らもグレゴリオ暦(我々も使用している世界共通のカレンダ)を使用しているが、宗教上の儀式ではユリウス暦が用いられている。現在、ユリウス暦はグレゴリオ暦よりも13日遅れているので、前回のクリスマスは今年(2004年)の1月7日に行われている。これは、グレゴリオ暦がローマ教皇グレゴリウス13世により定められたものだが、東方正教ではこれを受け入れなかったことによるものである。しかし、面白いことに復活祭に関しては、暦とは関係なく春分の日をベースにして決められているので、カソリックと同じで今年は4月11日に行われていた。
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| ラキア用の杯(チョカンチチ)で乾杯! |
また復活祭直前の4月7日に、ブラゴベスト(告知の祝祭)が祝われ、私もある家庭に招待された。この日は、早い時間に宗教的な儀式は済ませ、午後から夜にかけては親しい人々を招待し肉を含まない料理でもてなすというのが一般的なようだ。もてなしを受ける前に、まず十字を切ってワイン漬けの麦をいただく習わしがあるとのことであった。
この祝祭に限った話ではないが、当地では、何かあれば(何もなくても?)すぐにラキアというアルコール度の高い(通常、50度以上)蒸留酒で「乾杯」となる。原料はプラムを用いる場合が多いようだが、多くの家庭では蒸留器を持っていて、自家製のラキアを振る舞ってくれる。日本に帰る日が近づいてくると、ありがたいことに、この自家製ラキアをお土産にと持ってきてくれる人も多い。日本に帰ってからも、いただいたラキアで当地を偲ぶこととしたい。
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