FIELD REPORT現地リポート

2018.06.04 Mon

小さな島国の大きな夢~内戦を乗り越え未来へ歩むスリランカ~

現地企業連携促進/提案製品実証支援担当:安藤 順一

日本から直行便で約9時間。インド南端に浮かぶ北海道とほぼ同じ大きさの島国が、私が今、JICAプロジェクトのためよく訪れるスリランカ(正式国名:スリランカ民主社会主義共和国)だ。これまでに4回スリランカを訪れ、プロジェクトを通じて沢山の人々と出会う機会にも恵まれ既に愛着を持っているこの国だが、飛行機を降りた時に感じるインド洋から入る生暖かい空気には、未だに非日常の新鮮な感覚を覚える。


世界最長の首都名として知られているスリランカの首都「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」は、1985年にコロンボ(首都より北西に約10km)より遷都されたが、首都機能の移転は進まず、現在においても政治・経済の中心はコロンボにある。コロンボの街中は数多くのトゥクトゥク(自動三輪車)、民族衣装のサリーを身にまとう女性たち、上下真っ白な制服で賑わう学生たちで溢れている。多少の“ぼったくりサービス”はあるものの、朝も夜も一人で出歩くことができ、生活に必要な最低限の物は容易に手に入るコロンボは、我々日本人にとってはとても過ごしやすい場所ではないかと思う。しかし、このような平和な街並みの裏側には、スリランカの人々が経験したとても辛い過去があるのだ。

1983年に、それまでのシンハラ人、タミル人の民族間対立を背景に、スリランカ政府軍とスリランカからの分離独立を目指すタミル・イラーム解放のトラ(LTTE)による内戦が勃発した。北部を中心とした内戦だったが、首都にある国際空港襲撃事件などスリランカ全土に多大な影響を与え、幾度の停戦合意の崩壊を繰り返し、26年という歳月、民間人を含む約10万人という数多くの尊い命を代償に2009年に終結宣言がされた。

内戦終結後、スリランカ政府は次々と復興事業に着手し、2010年以降はGDP成長率も6-8%を維持している。世界有数のコンテナ港であるコロンボ港は、更なる開発のため軒並みクレーンが連なり、市内も至るところで建設工事が繰り広げられている。オセアニア、東南アジア、中東、東アフリカ等を含む環インド洋経済圏の中心に位置するスリランカは、ビジネス・ハブ拠点として経済的、政治的に飛躍する大きな可能性を秘めている。

インフラ整備への投資が活発に行われているここスリランカだが、世界有数(第3位)の紅茶生産国としても有名で、日本で飲まれている紅茶の約6割がスリランカ産だと言われている。中央部山岳地帯にはそれ囲むように紅茶の生産地が数多く存在し、広大な茶畑が広がっている。コロンボとキャンディ、ヌワラエリヤなどの中央部高地をつなぐ“紅茶列車”の愛称で知られている列車からの景色は素晴らしく、スリランカを訪れる方には一度は乗っていただきたい。2017年に150周年を迎え活気づくスリランカの紅茶産業は、今後さらなる近代化、高付加価値化を進め「世界トップのセイロンティー」としての返り咲きを目指している。

スリランカ_201709_03 世界有数の紅茶生産国でありながら、その約97%を海外へ輸出するため、日本人にとってのお茶とは違いスリランカの人々の普段の食卓に紅茶が並ぶわけではない。一方、ほぼ3食と言って良いほど食卓に並ぶのが・・・カレーだ。プレートに盛られたご飯の脇に、何種類も用意された“カレー”を自分で盛り付ける。ルー状のものが1種類、そのほかはサラダや炒め物の様なおかずであることが多いが、人々はこれら全てを手で食べる。私も以前手で食べてみたが、現地の人々に比べて圧倒的に手がべっとり汚れ、プレートもぐちゃぐちゃになってしまうのだ。習慣、伝統を見くびってはいけないと実感した。皆さんも是非手で召し上がっていただきたい。
スリランカには、伝統や習慣、民族意識を大切に日々の生活を送る人々や広大な自然と、開発が進められ日々変化し続ける近代的な街並みが共存する。長年続いた内戦という辛い過去を乗り越え、和平と経済発展への道を急速に歩む希望に満ち溢れたスリランカはまさに「光り輝く(スリ)島(ランカ)」だ。

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